2013年12月13日金曜日

女性セブンのふなっしー記事に暗澹たる思い。

 今朝もふなっしーの情報を検索していたら下の女性セブンの記事が見つかりました。しばらく怒りが沸々と沸き立っていましたが怒ったところでどうなるものではなし、ふなっしーもそんなことは求めないでしょう。※記事の拡大は画像をクリックください。

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まず記事を見て思うのは、この文章は事実に基づいた文章に見えないことです。書き手の作為が随所に感じられます。
たとえば『。“ふなっしー=Kさん”という説がネット上で吹き荒れたものの、真相は不明のままだった──。』という一文ですが、真相は不明とか不明でないという、追求する土俵にさえ上がっていなかったわけです。ふなっしーのファンなら、その真相は追求する意味も必要性もないことですし、ふなっしーのファンでなければたまたま好奇心でネットで検索程度はしたとしても、ネチネチ調べ上げるほど興味もないでしょう。だからこそそれ以上の追求もされず、またするべきでもないと、今まできていたわけではないでしょうか。そして「窓際にひとりで座っていましたよ。食べていたのは、期間限定で約1000円に割引されていた麻辣担々麺の半チャーハン、餃子セットでしたよ」(居合わせた客)という文章ですが、外食中に隣の人がなにを食べていたかなんて正確に見て把握する人が当たり前にいるでしょうか?見てもそれがメニューのなんと言う名称かなんて言い当てられるのでしょうか?ましてや自分が頼んだものでもないのに、他人のメニューとその価格が答えられるなんて言うことがあるでしょうか?バーミヤンのようなメニューも多いお店であればなおさら困難ではないでしょうか?最近はヤラセで打ち切りになったTV番組とか、ヤラセが問題になっていますから、まさかとは思いますがどうにも腑に落ちないものがあります。さらに
『──おはようございます。Kさんですか?「本当に急いでるんですよ。本当に時間がないんです」いつもの甲高い声とは違い、予想に反して野太い声。もちろん“なっしー”なんて言うわけもなく・・・』
この記者はこの男性と面識があるのでしょうか?どうして【いつものような甲高い声】と勝手に決め付けるのでしょうか。この記者は確たる証拠もなく、この時点で男性がふなっしーと決め付けています。
『 ──女性セブンの“ふなっしーの素顔”という企画に出演してもらえませんか?「ぼくは出るつもりは一切ありませんよ」出演は断ったものの、結局、自身が“Kさん”であり“ふなっしー”であることを認めてくれた。』
という一連のやりとり。アポ無しで急いでいる人を無理に呼び止め、求める答えが得られないと【“ふなっしー”であることを認め】と無理やりこじつける有様。この文章のどこで彼が何を認めたのでしょう?「出演してくれませんか?」「出ませんよ。」と言うだけの話が、ここでの事実です。報道と言うものは事実を伝えることではないのでしょうか?事実に尾ひれをつけて面白おかしくするのは飲み屋での戯言で十分です。白昼堂々、大人のやることではないでしょう。ましてやこのストーカー行為が行われたのは『11月上旬、都内で行われた、映画の舞台挨拶に登場したふなっしー。イベント終了後、会場からふなっしーの着ぐるみが入りそうな“大きな黒の肩掛けバッグ”を抱えた身長165cmほどの男性が出てきた。』とあるので、11/3に有楽町のTOHOシネマズスカラ座で行われた、映画「パーシー・ジャクソンとオリンポスの神々:魔の海」の舞台挨拶の後でしょう。そうすると有楽町から、船橋市まで延々尾行したわけです。私が非常に悲しいのは、これが2chとかで行われたことではなく、女性セブンは小学館の刊行物ですから、こうしたちゃんとした企業でこのような酷い行為が行われたということなのです。
ふなっしーはイベントなどでの饒舌とはうってかわって表舞台以外は実に寡黙です。テレビやイベントで酷いことをされても文句も言わず、ツイッターでも一切悪口や文句はつぶやきません。むしろふなっしーに酷いことをした人物がファンから叩かれ始めると『台本なっしー、心配ないなっしー。』とフォローまでしてあげる仏のような優しさ。そしてふなっしーは自分がしている良い事も自分からはほとんど言いませんし書きません。ちょっとふなっしーの事を調べれば、いかにふなっしーが奉仕と献身をしているか、すぐ分かるはずです。そして手弁当で知名度もない、後ろ盾もない中で、船橋を、みんなを元気にしたいと一人でこの活動を始めたわけです。あの場を食ってしまうキャラで、知名度も無い頃に、呼ばれてもいないイベントに押しかけて活動したことを想像してみて下さい。主催者側は「なんだあれ?・・・しらない?誰も呼んでないの?不審者?会場の人たちもこっちのイベント見ないでみんなあの変なキャラのほう見ちゃってるよ。迷惑だなぁ。追い出さないとだめだよ。」となりそうだと思いませんか?それが少しずつ認められ、認知されていったのはまさしくふなっしーの人柄、誠意、一生懸命さ、みんなを元気にしたい、船橋を応援したいと言う無償の奉仕の気高い精神などなどに皆が心を動かされていったからでしょう。ふなっしー個梨(個人)の始めた小さな善意が周りの人の善意を呼び、その善意がさらに善意を呼んで今のふなっしーがあるのです。それがふなっしーには良くわかっているから、多くの人に支えられるようになり、人気も出たふなっしーは自身のツイッター上で「なんの力もない梨に跳ぶ力を与えてくれたのは皆さんの笑顔でしたなっしー♪感謝感激梨汁ブシャー..*+」と語っているのではないでしょうか。今のふなっしーは以前のただの個梨(個人)ではないのです。ふなっしーは支えてくれるファンの思いを感じ、その思いにより応えるべくより良いふなっしーたろうと日々努力しているわけです。つまり今のふなっしーはふなっしーのパーソナリティーのみで成り立っているのではなく、人々の思いも受け止め巻き込んだ一つの大きな潮流というか現象ではないでしょうか。その片鱗を、女性セブンは今までのふなっしー取材で知っているのです。以下に女性セブンの以前の記事を引用します。
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 こういう記事を書いていながら今回の記事。なんと嘆かわしいことでしょうか。梨と人との善意が産んだこの良い話であり良い現象に対して、女性セブンは、小学館は、泥をなすりつけたのです。ふなっしーが何か悪いことでもしたのでしょうか?私が知るかぎり、一点の曇りもないです。さすが2000年に一度の奇跡の梨の妖精なのです。そしてまだ無名だった頃に、その梨の妖精を見出し、支えた人々。さらにファンが増え、人気が出てきてグッズなどで収益が出ればそれを人知れず率先して東北の方々に寄付したり、寄付するのみならず、グッズを作って頂くという仕事も東北の方々にお願いするふなっしー。今の世の中で、こんな綺麗で胸のすっとする話がどれだけあるというのか!そんなことも分からず、社会のために頑張ってるものを、私利私欲である事ない事書くような人に、会社に、世の中の不正を暴き、隠れた正義に光を当てる真のジャーナリズムなど出来ようはずがない。どうか女性セブン、小学館には、ふなっしーを見習って、正しい生き方、仕事の仕方を学んで欲しいと思う。


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